平成28年4月8日
皆様本日は御入学誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
春風は大輪田の泊りより潮の香りを運び、六甲の山々は緑の息吹を吹き返す。学び舎は桜花の薫りを纏い、春爛漫として降り注ぐ日の光は今日御入学された皆様方を優しくお迎えしております。
今日迄御父兄の皆様方に於かれましては大変御苦労様でした。皆様方は立派に御子息を御養育されました。この百有余年の歴史ある県工に入学された事は紛れもなく、その事実を物語っております。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長を仰せ付かっております高校18回化学科を昭和41年に卒業した冨金原伸伍でございます。我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は34,116名からなる大同窓会であります。組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように114年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、三年後、今日御入学された320名の方々が御入会頂ける事を心より嬉しく心強く思っております。
今日御入学された皆さんはこれから3年間県工で学ばれます。
3年間という歳月は、本当に短いものであり油断をしていると光陰矢の如し、あっという間に過ぎ去って行く事でしょう。然しこの青春時代の一頁の3年間こそが非常に大切な時間でこの時期を迂闊に過ごすと将来に大きな禍根を残すことになると思います。
学校で学べる事は非常に小さな小さな芥子種の粒程の小さな事でしょう。然しこの小さな芥子種には1メートル以上にもなる大きな大きなエネルギーが内在しております。もし核分裂を起こさせる事が出来れば原爆の200万分の1位のエネルギーが潜んでいると私は想像します。
学校では基礎の基礎を学ぶのであって、この基礎を学ぶ事によってそれらを応用し、発展させ、開花させていくのです。学校で学び経験することは何れどのような形になるかは分かりませんが、事の結果の大小美醜は問えないけれども因果応報という形で貴方々の未来に形成されていくでしょう。良い学び方をした者、良い経験を積み重ねて来た者には其れ相応の果実が実っている事でしょう。
裏腹に不誠実な学び方や不純な行動の結果は論を待つ迄もなく不安と無気力、焦燥と暗澹たる暗い将来しかないでしょう。全ては貴方々が想い描き行動して来た結果の答えでしかありません。
あわよくばとかラッキーとかは通用しません。そのような事に期待せず精励、努力しよう。
まず高校生活に於いての目標を立てよう。
その目標に向かって汗をかこう。
目標達成の為には休む事なく一心不乱になって歩み続けよう。
目標に到達する迄、決して諦めないで忍耐しよう。
目標が成就するよう確固たる信念を持とう。
目標達成の為には自ら省みて正しければ敵対者や反対者がどんなに多くとも恐れる事なく自分の信ずる道を進もうと孟子が言い残しています。2300年程前の中国の思想家で王道政治を説いた人の言であります。又、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という古言は司馬遷が著した史記の中に見られます。意味としては、小さな者には大きな者の志は分らないという事です。誰もが理解し難い程の志を持って、この3年間挑んでみては如何でしょうか。
最後に明治期の福澤諭吉の著「学問のすすめ」の一部を引用して結びとしたいと思います。
生まれた時は平等だけれども・・・我らは同じ人であるのに仕事や身分に違いが出るのはどうしてだろうか。同じであるのに違うのならば違う部分があるのであり、その違う部分というものこそが学ぶと学ばないとにあるのである。人の違いは生まれつきにあるのではなく学問に励んだのか、学問に励まなかったかにあるのだ。天は人を平等に作るけれども人の世の中は平等には出来ていない。そして、その差は学問をしたかしなかったかによって生まれている。しかし乍ら福澤諭吉は「学問のすすめ」で学問の重要性を説いているけれども、この学問というのは机上の勉強に終止するものではなく世渡りをするのも商売をするのも時代の情勢を見つめるのも「学問」としており学問の本質は自分がどう活用できるかにかかっている。知識は議論により交換したり公開して広めるように努めなければならないとしております。願わくばこの3年間をフルに生かし全身全霊を打ち込んで価値ある県工時代を築き上げて欲しいと願いつつ御挨拶にかえさせて頂きます。
本日は御入学誠におめでとうございます。