兵庫工業倶楽部理事長
冨金原 伸伍
県立兵庫工業高等学校創立120周年を迎えるに当り、兵庫工業倶楽部同窓会36,000有余名を代表して、この良き日を御祝福致します。
県工は明治35年11月、兵庫区大開通りに兵庫県立工業学校として発足して爾来120年間滔滔たる時代の流れの中、筆取り学ぶ県工健児の姿形は変われども、一時たりとも途絶える事無く永永と続く県工魂、誠実勤勉であれ、根性の持ち主であれ、常に明朗闊達であれ、の校訓を仰ぎ見て、この伝統を解く事なく堅持して参りました。
兵庫県で工業学校として第1声産声をあげた創建当初、世界の中の日本、取り分け欧米列強との国力、経済力たるや悍ましい程の格差があり到底太刀打ち出来るものではありませんでした。日露開戦をした当時の工業力であってしてもロシアとの隔たりは歴然としており、その差は実に日本の3.6倍もの優越する位置に立っておりました。況してやその36年前、明治維新の時迄遡ると、目も覆いたくなる程の脆弱さであったと推測するに難くないと思います。
其の様な中で兵庫県民の大きな期待に応えるべく産声をあげたのが我が県工でありました。県工は全学区制にあって、日本の将来を一身に担う優秀な健児を募りました。
その結果、県下全域から日本の底力となるべき若人が集結しました。
彼等は軽工業から重工業分野へと、将又、あらゆる産業分野へと進出し、日本の産業界の礎を築いていきました。
日清、日露、第1次世界大戦、第2次世界大戦をも経験し、幾多の艱難辛苦をものともせず乗り越えて、寸時も途絶える事無く連綿として足跡を標してまいりました。
県工の歴史は、近代、現代を歩んできた日本の歴史そのものであると云っても過言ではないでしょう。又、三面等価の原則の一面である国民所得に照らし合わせてみると、国民一人に於ける生涯収入は現在2億7000万円とされているので、27,000万円×36,000人として算出すると、約1兆円という膨大な金額がはじき出されてきます。我が校の卒業生の果たしてきた責務はこの数字をみても充分に全うして来たと自負する心を持っても良いのではなかろうかと思います。このようにして日本の近代化を産業分野の面から支えて大いに貢献してきました。
今後も当校が日本の繁栄の為に資する限りは、この先150年、200年と未来永劫存続する事は担保されていく事でしょう。そのためにも同窓諸兄姉の結束を更に強固なものとし、縁の下の力持ちとなりて学校の更なる発展に寄与する事をここに硬く誓います。
兵工がこれからも日本の繁栄を支える礎となり、今後産業界で活躍するであろう県工健児の益々の意気盛んなる事を祈念して擱筆致します。